先日、ハンブルクに行って来ました。ハンブルクに行ったら必ず立ち寄るのが“Kunsthalle”。晴れた日にはとても美しい吹き抜けを持つ現代美術館。
特別展示はGregor Schneider。2001年のベネチアビエンナーレで金獅子賞を受賞し、一躍有名になったアーティストです。
今回は彼の、記憶の匂いのする作品について、書いてみようと思います。

ベネチアでは、ひんやりとした空気の中で、ほこりっぽい家の中を歩き回っていくラビリンスのような作品でした。
その記憶の断片の残る閉じられた部屋をいくつもある扉を開け、窓を開け、もぐりこんでいくうちに、自分と他人の記憶が混ざっていくような奇妙な感覚、フラッシュのようなイリュージョンがみえる時があり、非常に印象に残った作品でした。
体験型の作品、と簡単に言ってしまうこともできるかもしれません。しかし単に体験、というよりは非常に生々しいような、しかし同時に冷たく遠くに突き放されたような感じ。

Gregor Schneider は 1969年、Rheydt 生まれ。16歳の時、父親の会社の持ち物であった古い家を使って、現在の作品である“das Haus u r ”の制作を始めました。彼の作品はハンブルクにあっても、ベネチアにあっても、常にRheydt にあるその家です。ただその“家”を、からっぽの家を、死んでしまったその“家”を彼は作り続けているのでした。家を作る、直す、壁をたてる、剥がす、また貼る。ある意味、とってもドイツ人っぽい(お家を直すのが好きな)制作過程ともいえるような気もします。

さあ、
ドアを開きその“家”へ入ってみましょう。

Kunsthalle での展示より。
この展示のために沢山の壁で区切られ、
扉が取り付けられた。

Kunsthalle のその展示場は地下。行った日はとても暑い日だったのに、そこだけすうっと温度が違いました。
地下室の匂い。
忘れられたものの匂い。

美術館では次の部屋へ行く時は大抵、開いている入り口を通るのに、ここでは重いドアを押して次、次、と行かねばなりません。
看板や矢印があるわけでもないので、戸惑います。この時はここで働いている人と行ったので、迷わず扉を開けられてしまい、ちょっとがっかりしてしまいましたが・・・。自分で“そちら側”への抜け道を発見できていたら、もっとのめりこめていたかもしれません。
ある部屋には、女の人が倒れこんでいて、暗い大きな部屋にはいると、小部屋の上に人影、足が。どちらも人形だったのですが、オープニングパーティの時には人がいたそうです。進んでいくとビデオが壁に写し出されていました。“家”の中を歩いていくビデオ。
ゆっくり、しかし他人のテンポで、まるで迷路のような家の中を歩いていく荒くて暗いビデオは、目をこらしてみていると、車酔いのような、吐き気を催すような状態になってきます。その酔いとともに、家の匂いが、ほこりが喉の中に、鼻の中に、入り込んできました。音は、撮影者の動く音、ぶつかる音、高い所を登る時のあがった息だけ。

それを抜けるとある“部屋”の断片(右写真)。オープニングパーティでは、青いゴミ袋の中に作家本人が入っていたそうです。

今回の展示で今までの彼の作品と全く違っていた事は“人がいる”ということでした。いつもは“家”のみで、そこにあるのは人が“いた”という痕跡のみでした。しかし、今回は人が“いる”という事がそこにそのまま提示されていたのです。
私がみたのは“人”ではなく、“人形”だったので、逆に生きているものの気配が外側だけ残っているようでした。
ひとの形をした、モノ。
それは逆に、非常に生命感のなさを感じさせ、まるでチョークで床にかかれたひとがたをみるような嫌さを感じました。決して嫌な意味でなく、とてもいや。

Kunsthalleの別棟の方からつながっている入り口の前にはなんとガレージが設置されていました。(下写真)そこに友だちと入って中で息をひそめていると、自分もこの家の一部になったような気になりました。もしかしたら、作家本人が居た時は展示会場全てにこんな雰囲気が漂っていたのかもしれません。
外にでると、あまりに眩しくて、先程の地下でのできごとが逆にくっきりと浮かびあがってくる気がしました。


追記:今回にあたって、写真を見直していたのですが、会場内に真っ暗な部分は少なかったのですね。とても暗かったという気がしていました。会場内に立ちこめた“闇”がそう思わせたのでしょうか。




画像、文章の無断転載を固く禁じます。
All Rights Reserved, Copyright(c) by Hideko Kawachi