会場のプラットフォーム


後ろに見える
ガラスドームが
ドイツ連邦議事堂。
駅は来年オープンとか

先月、ベルリンでは“IN TRANSIT”という世界各国から参加者が集まるパフォーマンス、ダンスイベントが行われました。企画は以前ダムタイプの公演等も手掛けたHaus der Kulturen der Welt。
色々面白そうなプログラムが並んでいたのですが、私が心待ちにしていたのが、 村上春樹が地下鉄サリン事件の被害者のインタビューをまとめた“アンダーグラウンド”という本をモチーフにし、会場として現在工事中の地下鉄、連邦議事堂駅を使っているもの。 まず、会場がなんと言っても、工事現場好きの私には魅力的。ひんやりとした工事中の地下鉄駅・・そこで、“あの”事件がどのように、そしてそれがドイツ人にどのように受け止められるのか、とても興味がありました。
会場はひんやりとした空気と湿気で鳥肌がたつ程。階段を降りて行くとさらに、プラットフォームまで階段が続いていました。このプラットフォームが舞台になるわけです。
私はこの村上春樹の原作を読んだ事はありません。しかし、95年に起こった地下鉄サリン事件は未だに、私の頭の中に奇妙な画像をくっきりと残しています。あの事件が起こった日、私は大学受験に落ち、つかの間の春休み、のんびり家に居ました。天気がよく、ベランダに木漏れ日が綺麗な深緑色の影を落としていたのを覚えています。
そこに突然、父が電話をかけて来たのです。『TV!TVつけて!大変な事が起こってる』と。
何だろう?とTVをつけると、地下鉄駅と大量の救急車、パトカーが、そこに集まっている様子が写し出されました。? 最初は、何が起こっているのかまったく把握できませんでした。レポーターの現場からの中継も、何がなんだか良く分りません。 第一、“サリン”なんて聞いた事も有りませんでした。しかし、日比谷線、丸の内線、千代田線・・・なんて身近な路線の名前が耳に入ります。 苦しんで倒れている人達が写し出され、宇宙服みたいなスーツを着た人達が、画面上にうごめいています。アレは何? 今、本当に起こっている事?パニック状態なのですが、実体が分らない上、TVの中継をみているので、奇妙なリアル感覚がありました。 パチッとチャンネルを消せば消えてしまいそうな、しかし、頭の中に、いつまでも残っているような。アノ事件は、私の中でそんなふうに始まり、その後、様々な背景、実行犯等、詳細がはっきりし、毎日のように繰返されるワイドショー・ニュースの大量の映像の中に、埋もれて行きました。私の中では、この事件は、まさに、私がTVをつけた瞬間に一番リアルだったとも言える様な気がしました。
さて、私にとっての地下鉄サリン事件はそんな感じでしたが、実際にその現場の地下鉄に居合わせてしまった人にとってのサリン事件はどのようなものだったのでしょうか。この村上春樹のインタビューは、その場に居た被害者60名の言葉をそのまま集めた物だと言います。そして、そのインタビュー集を下敷きにしたこの劇は、どのように“アノ事件”のリアリティを伝えてくれるのでしょうか。期待に高まる胸を押さえ、いよいよ開演です!

後壁には様々な映像が写し出される。
カラオケ画面、ニュース映像・・・・
プラットフォームの周りには、
ベルリン美術大学の学生の
作品が展示されて居た。
これも、ちょっとテーマが不明確で、残念。







最初はカラオケを歌っているシーンから始まりました。ワイワイと飲み騒ぐ会社員達、ごくふつうの、日常のヒトコマ。序曲というところでしょうか。そして、セカセカと行き交う人々。そして、何かが、起こる。そして、被害者となった人達が、言葉を、発し始めます。サリン事件時の映像も、プラットフォームの横に写し出されました。インタビュアー、TVレポーターとのやり取り・・・・・。
うーん・・・。ううーん・・・。なんというか、この劇を通して何が言いたかったのか、分らなかったんです。悪かった、とか良かったではなく、分らなかった、んです。
本は、インタビューを集めた、実録集ということですよね。村上春樹はあえて、小説家としての部分は抑え、彼等の言葉を紡いで行くところに重点を置いたのでは無いかと推測します。本は、その言葉を印刷し、読み手に手渡され、そこで読み手は自分の記憶と重ね合わせて、頭の中にイメージを作り、考えて行くわけですよね。では、その、言葉を通して、劇に、3次元にしようというのはどういう試みだったのでしょうか。本の場合は、実際にそれを体験した人が語った言葉を一言一句写すことで、その言葉の重みがあるわけです。しかし、その言葉の断片を、実感したわけでは無い人が、しかも彼等の原語では無い別の言葉で、繰返すのです。そこで、まず、リアリティのある言葉、という所に重点が置かれていないのだろう、と思います。では何なのか。この地下鉄サリン事件の何を伝えたかったのか?そこが不明瞭だったのです。
それはもしかしたら自分にとってのサリン事件、あの奇妙なリアリティが体の中に存在したから、この劇に対して、期待が大きすぎて、期待外れだった、ということもあるのかもしれません。しかし、せっかく地下鉄という空間を使っているのだから、もっと面白い、アプローチが色々考えられたのでは無いか?ドイツ語でやるという点においても、ただ、インタビューの部分を再現するのではなく、もっとそれを使った工夫ができたのではないか?等等、題材、場所等良い条件が揃っていたため、ちょっと残念に思いながら、肌寒い地下鉄駅を後にしたのでした。



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