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(c)Internationale Filmfestspiele Berlin |
Esmaは、仕事先で知り合った男に『どこかで会ったね』と声をかけられる。
遺体の身元確認所で見かけたことがあったのだ。どこかで静かにビニール袋に包まれている父の遺体を探す彼は、Esmaにひかれているが、彼女はどこか、一歩入り込めずにいた。
娘の修学旅行のため、友達にたのんで小銭を集め、なんとか200ユーロを調達し学校に支払いをすませたEsmaは、 『これでもうあんた、修学旅行に行けるからね!』嬉しそうに言う母に『証明書をみせたの?』 『200ユーロ払ったんだよ』その答えを聞いていたたSaraの同級生は『あんたの父親、戦争の英雄なんかじゃないんじゃないの』といじわるを言う。 疲れて帰って来た母に、ピストルを向け『誰が父親なのか、真実を教えろ』と脅迫するSara。切れたEsmaは、今までひたすらに隠し通してきた過去を、ぶちまける・・・・。 監督は、ドキュメンタリー映画を主に撮影する(『Red Rubber Boots』『Do you remenber Sarajevo』等)Jasmila Zbanic。 今回も、本当は同じテーマでドキュメンタリーを撮影しようと計画していたそうですが、 関わった女性達を、再び傷付け、せっかく忘れようと努力している過去を堀り起こし、トラウマに放り込むには忍びない、と 今回はこういう形になったのだそう。 Esma、お母さん役を演じたのは、『Underground』等、Emir Kusturica の映画に多く出演する女優、Mirjana Karanovic。 娘役はこれがデビュー作のLuna Mijovic。 私は、ボスニア内戦については、詳しい事を知りませんでした。 チトーがユーゴスラビア建国するまでの道のりは、坂口尚の漫画『石の花』で漠然と読みました。 しかしその程度。『ユーゴは、7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家』・・ 他民族国家であることを漠然と知っていただけ。この、多様な民族が危ういバランスで一つの国家として集結していたユーゴは、 チトーが80年に死去した後、各民族のバランスが崩れ、社会情勢が不安定となり、紛争へと発展していったのだそうです。 |
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ナイセン、フンソー。これらの言葉は、戦争を身近に感じた事がない私には知識としては知っていても、
実感の無い言葉でした。
しかし、ベルリンに来て、クロアチア、ボスニアはもちろん、イスラエルから来た知り合いなどもできて、 彼等にとって、常にテロに警戒してアラブ人を警戒するパトロールが行われているような(イスラエル)生活が普通で、 もしくはつい最近まで、戦争、人が毎日普通に死んで行くような生活があったのだなと、いまさらですが、衝撃を受けました。 (ここからネタばれの部分があります!) この映画では、ボスニア紛争で起こった、民族それぞれが行った、民族浄化策、敵対民族を根絶するため強制収容所に女性を綴じ込め、 組織的に行われていた集団レイプ焦点をあてています。 映画の最初のシーンに写った女性達は、それらのトラウマをかかえる女性達のセンターのようなところのようです。 ひっぱたかれて泣きじゃくる娘に『何度も何度もこぶしでおなかを叩いたけれど、おなかは膨らみ続けた』とつぶやくEsma。 子どもが産まれても、見たくない、と子どもをどこかに連れて行ってもらっていた彼女は、あふれる乳のやりばに困り、子どもを連れて来てもらう。 こどもを腕に抱いた時、ああ、ここに、美しいものがあるのだと思い、二度と彼女を手放すものか、と、過去を飲み込み、娘を玉のように大事に育てて来たのだ。 最後、父に似ている、と言われた髪の毛を剃りあげ、坊主になるSara。坊主頭にきりりとバンダナを巻いた彼女が、 修学旅行の見送りに来てくれた母を、ちらりと振り返り、手を窓に当てるシーンから、 修学旅行のバスの中で歌う『サラエボ、私の愛』が響き渡るラスト・・・・。 耳に残る子ども達の歌声は、恐ろしい過去を知った観客の心にちょっとだけ温かいものを残してくれました。 素晴らしい作品でした。 過去の話も、あえて、再演をしてみせることもなく、ただ、言葉として語られるところも、映像としてみえないからこそ、 伝わってくるものが大きくて良かったです。 今のところ、コンペ部門で観客たちから絶大な人気を得ているというこの映画。賞を受賞するしないに関わらず、 こういう映画が、様々な人の眼にふれると良いなと思いました。 10点満点で9点。 (2006年、ベルリン映画祭観賞記より。批評はその時の気分と私の個人的な好みによるものです。ご了承下さい。) |