最近旧東独ものが流行し、最近では街の色々な所で旧東独のデザイン家具、食器などを目にするようになりました。家具や、デザインなどには非常に特徴があり、興味深いのですが、それを見ただけでは、旧東独の人達が一体何を見、何を考え、何に興味を持ち、どんなことをしたかったのか、ということはなかなか伝わって来ません。
今回は旧東独文化の様子を写し出す、当時出版されていたDDRこども雑誌をご紹介。

旧東独で出版されていた子ども雑誌は9つ。その他にもう一つ、旧ソ連から輸入され、ロシア語のまま出版されていた雑誌があるそうです。
その中でも爆発的な人気を誇っていた、右写真の"FROESI"/"Froehlich sein und singen"
(陽気に、そして歌おう、の意。後にタイトルが縮められた
)『若いピオニール団員(旧東独、ソ連の青少年組織)達の友好、友情の中での文化活動をより良くするための助けとなる』雑誌として発売されました。
すごいコンセプトですが、平たくいってしまうと、工作セット、花の種、アドベントカレンダー、一枚一枚集めると、1年後には画集になるという旧東独やロシアの画家達の絵など、様々なおまけ付き!
後で紹介する他の雑誌の多くが学校の教材として使われ、学校からの購読だったのに対し、このFROESI は個人の購読が非常に多く、今でも、これを昔読んだんだ!!と懐かしそうに見せてくれる"昔の子ども"が沢山いる雑誌です。


おまけの例。
マルクス・エンゲルスのミニ本、
ピオニール団の布プリントマーク。








その"FROESI"と並んで売れていた雑誌が"ABC Zeitung"です。
こちらは1946年から『一番若い読者に向けて』発売された雑誌で対象は小学1年生。主に学校で使われることが多かったようです。例えば左写真のページは"こんにちわ、1年生!"とのタイトルで『私達はお使いに行って親切なお隣さんのために卵を3つ・・・』と算数の問題が。
様々なテーマについて特集が組まれた色使いが華やかで楽しい雑誌!
この他、3〜6才くらいまでを対象とした絵本雑誌、"BUMMI"、高学年を対象とした"Schulpost"
と、その"Schulpost"の
『1、君達に知を運ぶ
 2、考えることを学ぶ
 3、君達に喜びを運ぶ友人となる』
というテーマをより細分化し、例えば宇宙飛行士、生物化学研究家などへの道を目指す子ども達へと出版された"Rakete"、"Technikus"。

冒険ものの連載漫画で人気を呼び、東西統一後の現在も唯一続いている雑誌、"Mosaik"、こちらもアナクロな長篇冒険シリーズなどが人気だった"Atze"、そして1948年のメーデーに特別発行された新聞、"Junge Pionier"が後に、20年代からあった有名な労働者のための雑誌"Trommel"の名前をそのまま借りた、政治的な色合いの非常に濃い高学年向け雑誌がありました。



様々な年齢向け、テーマの雑誌がありましたが人気の挿絵画家が存在し、多くは雑誌を掛け持ちしていました。
雑誌を沢山みるうちに目がひき寄せられてしまったのが、そんな人気挿絵画家のひとり、Richard Hambach さんのページ、『クレーン操縦者になりたいマンフレッド』でした。

夏ミカンを思わせる真ん丸でぷつぷつした顔のマンフレッド君は、二年生。
真っ赤な顔に黄色のシャツ、ピオニール団の青いスカーフをきりりと締めています。

クレーン操縦者になりたいマンフレッド君は、器械体操がとっても上手。
『だってクレーン操縦者はよじ登れなければいけないからね!』
しかし読書には全然興味の無いマンフレッド君。本をほうり投げて鼻をほじってます。
『世界に何が起こってるかなんて、ラジオを聞けばわかるじゃん。文字なんか読めるようにならなくてもいいや!』
休み時間は大騒ぎ。
『クレーン操縦者に必要なのは、人を呼ぶ、大きな声!だから多少休み時間にうるさくてもきにしない!僕、練習してるんだ!!』
工作の時間がドイツ人らしく大好きなマンフレッド君は楽しんではいますが、きっちり測って作りません。
『なんでミリ単位で測る必要があるのさ、多少大きさなんて違ってもいいじゃん!』

そしてこのマンフレッド君は一体全体、本当にクレーン操縦者になれるのかな!??皆でお便りを書こう!というのがこのページの主旨です。
次の月に掲載された、読者からのお便りには『マンフレッド君、君は怠け者だ!』といった、よいこ発言から、『文字が読めなかったら計器が読めないじゃない!クレーン操縦できないよ!』ともっともな指摘、『声が大きくないとクレーン操縦者になれない!って!笑っちゃった!!!でも彼はこのままでは落第してしまうよ。もっと訓練をしっかりして勉強もしないと』なかなか・・・・・・。
旧東独に限らず、子ども向け学習雑誌は常に教育的な作りでしょうが、旧東独は特に、国のためにピオニール団として何をすべきか、とか、訓練や鍛練はしっかりと、とか、助け合いの精神、といった事、そしてDDRという国の素晴らしさについて、子どもの頃から暗示をかけていこうという目的がどうもみえかくれする気がします。
その際たるものが、この『長靴をはいた猫、1963年、夏』だと思いました。(下写真)

長靴を履いた猫のお話を下敷きに、猫が粉屋さんを訪ねていく、という話です。
『外の世界に興味を持った雄猫は再び長靴を履いて、童話の本から飛び出しました。』そして、東独の国営粉工場を訪ねます。『猫や、ここではもうネズミはいないんだよ』と言われ、答えて雄猫『それでも素晴らしいことだよ!もう貧しい粉屋がいないってことは』・・・・。うーん、共産主義啓蒙。
そして、旧東独のマークの説明があります。『この3つの印は、全てがひとつなんだ。ハンマーは労働者、穂の輪は農業生産共同組合、コンパスはエンジニア、アーティスト、教師を表しているんだよ』『今や製粉組合員もそれぞれワッペンを付けているんだね!』と猫は喜び、メルヘンの本に帰っていきました。
彼はいまや、メルヘンと今日はすっかり違っていることを知りました。“伯爵”というものが存在しなくなってから、世界はとても素晴らしいものとなったのです。貧しい者は今や金持ちです。というのも、彼等の作りだすもの全てが彼等のものになるような世界となったからです。 ちゃんちゃん。おしまい。

・・・・・・DDR時代の雑誌というのは、絵柄、色、デザイン、おまけ等、かわいらしくて良い感じのところも多いのですが、なんというか、国家に沿う人間を作り出すために、かなり意識操作をしていたように見受けられます。
それが悪いかどうかは一概に言えない気もするのですが・・・。とりあえず、この長靴を履いた猫はすごい変作ですね・・・。




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