今、ベルリンはベルリン映画祭で盛り上がっています。その中でベルリン映画祭で上映されていない映画の話をするのもなんなのですが、ドイツではけっこう話題になっている映画“ロスト・イン・トランスレーション”について今回は書いてみようと思います。もう映画を見に行ったドイツ人の友人達に感想を聞くと、皆が口を揃えて『良かったけど詳しい感想を言う前に、まず君の、日本人としての意見を聞きたい』と言うのが気になって、これは自分の目で確かめねばなるまいと、映画館に足を運びました。

監督は“バージン・スーサイズ”で花々しくデビューを飾ったソフィア・コッポラ。主演は情けない顔をさせたら世界一のコメディー俳優、ビル・マーレイと、“ゴーストワールド”の拗ねた表情で印象深かったスカーレット・ヨハンスン。サントリー・ウィスキーのCM撮影のために来日した俳優ボブ(マーレイ)とカメラマンの夫の仕事について来た若妻(ヨハンスン)が言葉の通じない街、東京で出会い、なんとはなしに同じ時間を過ごす、というほろ苦いコメディです。

この、起承転結ががあるようなないような、映画の中の時間がゆらゆらと浮遊しているような時間の流れ方がソフィア・コッポラ監督の映画にはあると思うのですが、その浮遊感が東京という街にぴったりはまったと思います。
監督のインタビューに彼女は撮影時ひどい時差ボケで頭がぼうっとしていたのだとか。ぼうっとしながら撮影をしているうちにだんだん、リアリティに接する努力をするのをいつしかあきらめてしまったのだ、と彼女は語っています。また彼女は東京について、こんな表現をしています。
『東京は道路標識、ガラスと鉄でできた何か巨大な物のジャングル。まるでまったく別の惑星に来たみたいな気がするの。まさにこの、異質な周囲の状況が今回の映画のストーリーを成り立たせるために重要だった』
東京に生まれ東京に育ち、ベルリンに来るまで一度も動いたことのない私ですが、確かにこの街、特に住宅街ではない辺りは本当に、何か異質な空気が流れ、そこにいても、足がそこについていないような、そんな感覚を受ける街だと思います。特に、住んでいるとその感覚はだんだん薄れて来て、体の感覚、例えば痛覚や嗅覚、味覚とかが、常に刺激を受けているために何かに覆われているかのように刺激を感じなくなってしまう、そんな感じがあるのです。
この街に暮らしているわけではなく、言葉も通じない人には、何をやっても噛み合わない、なのに世界は忙しく回っている、チカチカと華やかな世界は手を延ばせばそこにあるのに、どうも自分の足がそこには無いような、そこにズレを感じ、そのズレに自分が存在していることが、喪失感となって伝わってくると思います。
そういった感覚はこの映画の中で非常に細やかに描かれています。
私が特に気になったのは、お風呂/プールのシーンです。私がプールやお風呂が好きだ、ということもあるかもしれませんが、このシーンには特に感情移入して見ていました。
マーレイ、ヨハンスンの主演二人どちらも映画の中でゆっくり湯舟に体を沈め、たゆたうシーンが出てくるのですが、まさにこの“たゆたう”感じ、体の輪郭がまわりに溶けて行くような、体の感覚があるような無いような、常に軽く浮遊/喪失感があるのがまさに“トーキョー”なのではないか、と私は思いました。
マーレイがプールで泳ぐ、呼吸をするために水面に上がるとウワーッと周囲の世界の音の波が押し寄せて来、ひとたび潜るとちょっと手ごたえのあるシーンとした空間がある、あの感じもそうです。
ひとかき、ひと呼吸、ザバーッ、スーッ、ゴボゴボ。自分の呼吸だけが遠くに聞こえる水中、外の音が無防備にせまってくる水上。その二世界は繋がっていて、そこを、泳ぐひと呼吸ごとに行き来している。私が東京に居た頃はあまりに近くて実感がなかった世界が、この映画の中に切り取られていました。こういった視線はトーキョーの外国人、であった監督ならではであり、また、これが実感できるのも、今、私がベルリンの外国人、であるからだとも思います。
日本人の描き方があまりに表面的で、人種差別的だ、なんて議論もあるそうですが、私は“外国にいる日本人”の立場から見てそれほど差別的には感じませんでした。
私だって『ドイツ人ってて皆大きくて、ホテルのシャワーヘッドが高すぎて私なんて手が届かなかったよ。』とか『トイレに座ったら足がつかなかったよ』『洋服のサイズが私のサイズでS!』と笑うし、ときどきは『ドイツ人は皆頭が固くて冷たいよ』て思い、いつまでも馴染めない感覚と、『ドイツ人ってこう』という思い込みみたいなものがあるからです。こういう感覚ってどんな街にいる外国人にもあると思います。
また、日本は特に外国人が、ああ自分が外国人だ!と実感させられる国であり、“トーキョー”は日本の中でも異空間な感じがするところです。しばらく東京に住んでいたこともあるという監督が自分の体験を正直に描いたらこうなった、のだと思います。
実際、一緒に行った、日本に滞在したことのあるドイツ人の友達は『こういうことがあった〜!!』と非常に自分の体験に重ねてみているようでしたし、言葉の通じない外国人が行くとまさにあんな感じであろうと日本人である私も納得する部分があります。ただ、もし自分がまだ日本にいたら、コメディとして捕らえ、思いっきり笑う事ができるかは、ちょっと微妙な気もしました。
日本ではゴールデンウィークの上映だそうですが、普段ならアメリカで上映された映画は即座に輸入して上映する日本が今回出遅れた理由はそこらへんにあるのでしょう。日本にいる日本の人達がこの映画をどう評価するか、気になるところです。




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