アートのコンテンツで旧東独の象徴とも言える建物、パラスト・デア・レパブリック(共和国宮殿)の中で行われたダンスプロジェクトについて書きましたが、しかしこの場所は本当に壊すには惜しい!夕暮れ時のライトアップ、昼間の光を反射する黄金色の窓ガラスの様子、鉄骨むき出しの内部、隅にたまったホコリ。全てがあまりに魅力的。ただ、座って、光と影を眺めているだけでも数時間を過ごせそうな空間は、ひんやりとした工事現場の空気が心地よい。
なんでコレをあえて壊したいのだろう?
それにはこの場所の歴史が関係しているようです。
この共和国宮殿が建っていた場所には、もともとは、500年以上もプロイセンの王や、ドイツの王様の城として使われていた城が建っていた。その城が第二次世界大戦時にかなり損傷を受けたのを、1950年に東独上部が封建主義に反対する意味から、打ち壊させ、“城広場”から“マルクス・エンゲルス広場”と場所の名前も変えた。新たな共産主義の国の幕開けです。
そして1976年、この場所に“共和国宮殿”がオープン。当時、“共和国宮殿”は、東独人民議会と、SED(ドイツ社会主義統一党)のイベント、FDJ(自由ドイツ青年団)や労働組合の集会を行う場所として主に使われていた。しかしその合間には、コンサートや展覧会といった文化的なイベントが宮殿内のシアターで行われ、バーやレストラン、カフェ、ボーリングセンター等には若者が集まっていたという。
しかし89年、壁崩壊。その後、しばらくは市民によって占領されていたらしい。数カ月して、建材にアスベストが使われていた事から内部解体が決定。
93年には、“共和国宮殿”を破壊し、その場所に再びバロック調の“城”を建築しようという動きが現れたのだった。そして、97年、やっとアスベストを取り除く作業が始まったが、ベルリン市の財政の負担もかなりのもので、なかなか簡単には進まない。2001年、取り壊し反対の声もあったが、バロック調の城を再建築し、共和国宮殿は取り除く、というプランが決定され、新しく建築家を探すコンペ計画も始まった。しかし、財政難の街は、なかなか取り壊す事も、次の城を再建することもままならない。それに目をつけたのが、サシャ・ヴァルツの古巣、ゾフィーエン・ゼーレとティアガルテンにあるシアター、HAUだ。この素晴らしい空間を、シアターやダンス、アートプロジェクトに使えないか?と、スポンサーを探し、市と交渉を繰返し、1990年から13年間、閉めたままだった扉が、ついに開いたのだった。



バースペース。
宇宙船みたいなデザイン
壊す事は決定としながらも、すぐに取りかかれない間をイベントや展覧会、演劇に中途使用する、というのがプランだ。
そして、今年、8月20日から11月9日まで、“フォルクス・パラスト(国民の宮殿)”という名前のイベントがこの建物内で行われる事になり、廃虚と化していたこのパラスト・デア・レパブリックは、にわかに、昔にもどったかのようなにぎわいを取り戻し、再び呼吸を始めた。
もちろん、これは取り壊しが決まって実際取りかかられるまでの、中間使用に過ぎないのだが、サシャ・ヴァルツの新作パフォーマンスの他、現代アートの展覧会、フィルム上映会等、毎日イベントが行われ、『この東独の象徴とも言える建物の可能性を新たに発見してもらえる機会ともなるだろう』(イベント企画者のコメント)。
昔のバーを生かして作られたバースペースは、イベントが有れば開いて、廃虚の中に、70年代の雰囲気を運んでくれる。ココに座ってちょっと一杯飲めば、過ぎた時代に思いは飛んでいく。東独、とはなんだったのか。何が、だめだったのか。
盛り上がる市民とアーティストに対し、落ち着かないのが、この建物の取り壊しをしたい、保守政党(CDU)の政治家達。もし、この建物が、長期に渡りカルチャー・スポットとして息を吹き返したら、取り壊し計画は無くなるのか?という私の疑問に対して、『否、でもやっぱり東独政治を代表する建物だから、あまり大きな顔をされていたら困るんじゃ無いの』と多くのドイツ人は言う。
取り壊し費用のメドも日にちも立たないまま、ほったらかしにしておくよりは、イベント、プロジェクトスペースの方が良い!というのが多くの市民の声ですが、さて、どうなることやら?
無くなってしまった国の残り香・・・その国を、今でこそ、政治的な理由で残して置きたく無いのだろうとは思うのですが、 しかし、決して再び作る事のできない、歴史的な香り。なんらかの形で保存してもらいたい、と切実に願いながら、夜空に浮き上がる角張った輪郭を後にしたのでした。


*追記
9/29、国務文化大臣クリスティーナ・ヴァイスは、あくまでも、2005年夏の取り壊し計画に反対しているわけではない、としながらも 『新計画がはっきりしない間は、取り壊しも無し!』と発表した。 すぐにコンペが打ち出せる程の財力は現在のベルリン市には無いので、2005年の夏、すぐに取り壊しにかかれる可能性は薄くなったとも考えられる。 しかし大臣はまた、これまでの共和国宮殿内で行われたプログラムは成功をおさめたが、 どのプログラムも、あえてこの共和国宮殿内で開催される意義は認められない、とし、『この歴史に汚染された場所を使用する、という真面目な議論の欠如』を指摘している。(2004年9月追記)

*追記その2
上の写真は、2006年クリスマスの様子。パラスト・デア・レパブリックが骨組みだけになってしまい、 向こう側のテレビ塔などが透けて見えるのがわかるかと思います。 この骨組みを生かして、ホワイトキューブ的なコンテンポラリーアートを展示する空間を作る、という計画などが発表されていたにも関わらず、 取り壊しが始められてしまいました。 そして、この跡地を何にするか、という計画については、色々な提案がありますが、まずは更地になったところで、 資金繰りを考えつつ、実行されるでしょう。 宮殿を再建したいという計画については、資金が十分に集まらなかったようです。ほっ(2007年3月追記)




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