路線図をBernauerstr駅中心に切ったもの
*Bernauer Str.

ベルリンの路線図が歴史の鏡だとするならば、Bernauer Str.駅周辺は、東西分断の歴史の窓。

駅自体は普通の暗い駅ですが、降り立つと、ここを境に、同じBernauer Str、(ベルナウアー通り)の一方は西側、もう一方は東側に、一日にして鉄条網がひかれ、壁が築かれ引き裂かれたことを示すモザイク模様の床が現れます。
大部分の東から西への逃亡、東西をつなぐトンネルがBernauer Str. 周辺でおこりました。壁ができた1961年にはベルナウアー通り沿いの西側のビルがまだ閉鎖されていなかったため、このビルの窓から西側へ飛び込む人達が後を立ちませんでした。助かった人もいましたが、1年の間に公表されただけでも6人が、着地に失敗したり、撃たれたり、捕まって暴行を受けたことで死亡しました。その後、ベルなうアー通り周辺のビル等37件、50のドア、1253の窓はレンガでふさがれました。

Bernauer Str.駅周辺で起こった多くの逃亡の中でも有名なのは、まだ壁がしっかりと建設される前、鉄条網をひいている最中に、監視役であった19才の兵隊がその鉄条網のロールを西側へ飛び越えていった事件(彼がちょうど飛び越えようとしている写真(下)は今でもベルリンの壁博物館で一番の売れ行きとか。)と、『Tunnes 27』というドキュメンタリーが発表され、それを元に2001年『トンネル』という映画が制作された、1964年に東側から27名を逃亡させることに成功した地下145メートルのトンネルです。多くのトンネルは最後まで掘りきる前に、密告や東ドイツ人民警察(そのほとんどが秘密警察)によって発見され、逃亡計画者は追い詰められ、手榴弾などによって殺されたと言われています。
モザイクの床写真。茶色と黒の地味な配色で国境の跡を残す。Bernauer Str.駅を出た所にあるモザイク。
手前がBerlin Mitte、東側、
奥がBerlin Wedding 、西側。

Bernauerstr.駅にほど近い、
Mauergedenkstaette(壁記念館)
壁と、当時のまま保存されている
数平方メートルの『東ベルリン』を
見る事ができる。
地上に立つと、壁の隙間から、
なにもない壁の向こうの荒れ野原が。

ぽつんと立っている街灯。ふるぼけた柱。
当時の姿がまさに『垣間見える』場所。

Bernauer Str.のトンネル

Bernauer Str.に、30人の、西ベルリン学生を中心とした人々が集まり、友だちや親戚を東ベルリンから助け出すために145メートルのトンネルを掘りました。
この計画は1964年初頭に、当時俳優であったヴォルフガング・フックスが先頭にたって始められました。壁の建設にしたがって破産に追い込まれていった工場等がBernauerstr.沿いには多かったのですが、その一つを、『写真スタジオの暗室に最適!』と言って借り受け、トンネルを掘り始めました。17メートル深さまで行ったところで地下水脈にあたってしまい、深さ12メートルで東ベルリンにトンネルが向かっていったのです。
途中で配水管にあたってしまったり、分厚い壁に当たってしまい、音の大きい、周辺住民に音が聞こえてしまう可能性のある工具の使用を余儀無くされたりしながらも、無事、トンネルが開通。同年10月3日の夜、東ベルリンのビルのトイレの床の穴から西ベルリンへ28名が抜け出すことができたのです。
最初にトンネルを掘り、逃亡を手伝った人達の友人達が助け出された後、2日目の夜、また東ベルリン側から逃亡者がやってくることになっていました。しかし、突然2人の機関銃を持った東ドイツ人民警察に踏み込まれました。逃亡を助けていた人達は、逃亡者である友人達を守るため携帯用火器で対抗し、撃ち合いとなりましたが、ちょうど全員がトンネル内に入ったところで、東側の入り口は封鎖されました。しかし全員が西側の入り口に辿り着くことができました。
この撃ち合いの最中に国境警備隊の一人が死亡し、東ドイツ側は『西側の挑発者が国家機関員を殺害』とし、彼の名を冠した道がBernauer Str. 沿いに、他、学校や兵舎が作られました。(ちなみに、彼の名を取ったEgon-Schultz Str. は現在もとの名前、Streitzer Str. に戻っています。)壁崩壊後、彼は東ドイツ秘密警察の弾によって撃たれていたことが明らかにされました。

Bernauerstr,とRappinerstr,という道が交差するところ。ぽっかり空き地が写っている。Bernauer Str.駅を出ると、元国境沿いは
閑散とした空き地。壁と言っても、

壁がぺらっと一つあったわけでなく
探知機などが埋め込まれた無人地帯、
フェンスがあった。
写真右下を走っている線が国境。
Bernauer Str. 駅自体ではなく、周辺の話に終始してしまいました。
『ベルリンの車窓から』では本来、駅のデザイン等についてちょこっと写真入りで御紹介のつもりでしたが、たまたま行ったBernauer Str.駅周辺の空き地の閑散とした雰囲気や、歴史が興味深かったのでその話を書きました。
この通りは、半分が西側、半分が東側と言うこともあり、逃亡が企てやすかったため、この周辺はその逃亡の話を書いた立て札などが多く立っています。
しかし、ベルリンに来て驚いたのが、街の中心を一駅離れると、ぽっかりと空き地があらわれる事。 Bernauer Str. 駅の隣の駅はRosenthler Platzと言って、カフェやレストランが多くにぎわっている駅。 そこからちょっと上がった所にこんな冷え冷えとした空き地があるなんて・・びっくりしました。 ベルリン市がお金が無く、立て直しや企業の誘致とかができてないのかもしれません。

*付足
昨年、フリードリッヒスハインの方から、ミッテ、北駅まで。旧東西境界線、壁跡地を横切って走るトラムが復活しました。 その復活により、じわじわとこの、ベルナワー・シュトラーセの方まで発展が進んで来ています。特に増えているのはブルンネン・シュトラーセ沿いのギャラリー! 最近では1軒おきにギャラリーと言っても過言でない程の増え方です。こじんまりとしていてコーヒーが美味しい小さなカフェや、オーガニックスーパーなども出来ました。(2007年5月筆)




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