Helga-Hahnemann-strasse



日本では何番地何丁目の何番、というのが住所で、 大体場所はこの辺?と検討がついても実際地図を持ってそこにいくとうろうろとその場所を探して歩かねばならない。 それと違ってドイツ(ヨーロッパ)では全ての道に名前がついているので、地図でその道を確認できさえすれば、後は番号を探すだけ。 長い道なら地図上に番号もふってあるので、非常にわかりやすいと言える。
私の回りには自転車に乗る人が多い。高い定期券や電車のチケットを買う代わりに、どこにでも自転車に乗る人達だ。 日本だと細い歩道を走ったり、車を気にしながら車道を走ったりしなければならない自転車だが、 ベルリンにはわりと自転車専用道路があるし、道も広いので、大体の所に自転車で難無く行く事ができる。 そして、自転車を乗り回すドイツ人は道に非常に詳しい。 ○○道を数m行った△△通りの右手を折れて・・なんてパッと道の名前が出て来るので驚く。 私の友達で一番詳しかったのは、学生時代に郵便局でアルバイトをした人で、彼女は郵便番号を聞くとその周辺の道の名前がパッとあげられた。
前置きがながかったが、このヘルガ=ハーネマン・シュトラーセはそんな詳しい人でもあまり知らないのでは無いかと言う通りだ、 という話をしたかったのだ・・。
この通り、道の看板がなんと4方向についているが、どの道もとても短い。 これはオラニエンブルガー・シュトラーセからフリードリッヒシュトラーセ側に行く小道なのだ。 道の回りには家が無く、駐車場として利用されているだけ。タヘレスの裏、といったら、ああ、あそこか〜と思われる人も多いかもしれない。
フリードリッヒ・シュトラーセ駅方面から自転車で帰って来る時、 交通量の多いオランニエンブルガー・シュトラーセを通るのが嫌なので時々この道を利用する。 じゃりがしかれただけの道をガタガタさせながら通る。フェンスでかろうじて仕切られている道のむこうには、 昔は大きなデパートだったというタヘレスの裏、えぐりとられたような壁面、壁一面に壁画が描かれたビル。 広い草地に鉄を使ったオブジェや、台車が転がっている。その前にはスプレーで落書きされたコンテナが。 夏の夜はライトアップされてパーティが行われている事もある。
タヘレスはもともと壁が崩壊した後、廃虚として放置されていたデパート跡地をアーティストが不法占拠し、 アーティストのアトリエやイベントスペース等として使い始めたという建物で、 建物の中の落書き具合、暗さと独特の匂いは、東大駒場寮を思い出させる。 そのアヴァンギャルドさが受け、じわじわと観光地と化し、最終的には不法ではなく合法に住む権利を得たというタヘレスは 今はあまり、不法占拠してた時代を思わせるものでは無くなっている。 今は、映画館、ライブハウス、カフェ、舞台、アーティストのアトリエ等が入った、カルチャー・コンプレックス施設といった感じ。 日本からギャラリーの人が来た時、タヘレスのアーティストアトリエを見て回りたいというので、日本人3名でうろうろした事があるのだが、 ちょっと開いているドアから中を覗いただけなのにお金を取ろうとしたり、作品を売り付けられそうになったりして、あまり良い印象を受けなかった。 それ以来、一度も足を踏み入れていない。
駐車場のライトからの光を受けてほの明るい静かな道の前をちょっと走ると、右手にソーセージスタンドが、 手前にインド料理屋アムリットの広いテラス席が見える。カフェ、レストラン、スシ・バーが並ぶ道は今日もぎっちりと人が入っている。 東西統一後15年、崩壊した東独、廃虚に、空地に、満たされていた希望、これから何かが起こるに違いないという期待。 その期待と希望がこういう形で完成を迎えるのか・・・とちょっと恐くも思える一角である。


*通りのヒトカケラ*
この道で珍しく電線と電信柱?を見かけた。
柱にはびっしり電球がついてるけど
電気がついてるのはてっぺんだけ。






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