先日、プレンツラウアーベルクをさらに北に行ったパンコウ地区に、新しい美術館が登場?というニュースを目にし、さっそく足を運びました。 パンコウ地区は地価が上がってしまったプレンツラウアーベルクやミッテに代わり、 じわじわとアーティスト人口が増え、共同アトリエなんかも多くなってきているところ。 これから注目の場所になるのかも!とちょっと期待したのがいけなかったのです・・。
入場料返せ!と叫びたくなるような展示にがっくり疲れきって帰宅。
これから、の匂いがする場所ライプツィヒSpinnereiでも 触れたのですが、私はベルリンに『渾沌とした中から何かが起ころうとしているパワー、価値が確定していない面白さ』という魅力をずっと感じていました。 過去形で書きましたが、もちろん今でも時々その魅力は感じるのです。しかし、今回はこの“価値が不確定”が思いっきり裏目に出たのを見てしまった感あり。 自分はどうなんだ!と常につきつけられながら、考えながら、になるので、アートに関して厳しく書くのは苦手ですが、今回は手厳しく行きます。
この、クンストハレ・パンコウは、ベルリン美術大学の建築科の生徒2人が卒業製作のプロジェクトとして企画したもの。
まず、これが危ない要素その1。アートに対してプロ/アマを分けるのは好かないのですが、ベルリンは良くも悪くも非常にアマチュアっぽい。 そして、それが良しとされる街だと感じることが常々あります。 好きなようにやる、というのはもちろん表現として大切な事なのだけれど、表現というのはその言葉通り、表に現す事。他人の目にさらすことでもあります。
だから、私は表現というのは、他人に“みられる”ことで完成するのだと思っています。
だから、みられることを念頭に置いた上で、自分が出した“表現”を第三者の目でみて、自分の伝えたい言葉が伝わっているか、 シビアに判断することが、最終的なアーティストの仕事でもあるのだと思うのですが、これが案外難しい。 展覧会等を重ね、批評を受け、そして自問自答を重ねながらできるようになっていくのではないかと思うのですが、 なかなか学生のうちはこれができていない人が多いのです。(もちろん、学生でも素晴らしい作品を作る人はいるし、その逆もしかり、なのですが。) それでも伝わるように出しっぱなしの表現する人は良いのですが、あー垂れ流し、としか感じられない作品は見てて痛い。

クンストハレ外観。
元煙草工場


巨大な中庭にも
インスタレーションが。
壮絶な建物にくわれているのが残念。

さて、そんな痛い作品が山程並んでいたのがこのクンストハレ。 オーガナイズのティムとマークは入口に座って遊んでました。『学生じゃないの?でも、入場料、まけてあげるよ』とにっこり。親切なんですがねえ・・。
彼等は人気のクラブRIOをオーガナイズした仲間。 このクラブRIOは、もともとはブラジル料理のレストランだった物件で、典型的なベルリン“Zwischennutzung” (期間限定の場所の使用。廃工場や閉店した店をそのリノベーションまでの間、安く借りて使う。 ベルリンではクラブの多くがそう。Cookies、WMF、Maria等・・場所がしょっちゅう変わるのはそのためなのだ。)というやつ。 ここをオーガナイズした彼等が次に見つけたのが、この煙草工場。彼等はこの物件を、卒業製作として、大きな現代アート展示ホールにしようと計画した。
担当教授も『12%もの建物が、ベルリンでは廃虚のまま放置されている。それをいかに利用していくかは、この街に暮らす建築家の使命!』と 彼等の計画を応援する発言をしているが、その結果がこれじゃあ、ベルリンの未来は暗い・・・。
2万3千平米という巨大な敷地はしかし、確かに魅力的。だが、多分大きすぎて彼等の手に余ったのでは無いかと思う。
“Zwischennutzung”の利点はその安さと、廃虚的な建物の魅力にある。 しかし、あくまでも期間限定で、いつかは他人の手に渡さねばならないので、あまりお金をかけられないのが難点。 安いからこの場所を借りているのに、大金をかけてリノベーションするのはもったいない、というわけだ。 そして、その場所の多くは、場所が広すぎてなかなか改修費用を出せる賃借人がなかなか現われないため、安く“Zwischennutzung”されている物件。 とても前面的にリノベーションできるものではない。
で、クラブ使用となるわけだ。巨大なステレオ、ライト、カラフルなセロファン紙、ミラーボール、適当な木でバーやDJテーブル等を作って、 古い拾って来たソファーを適当にその辺に置けば出来上がり。 光りが極限まで落とされているし、かかっている音が良ければ、お客は誰もホコリがたまってるとか窓が割れてるとかは気にしない。第一踊ってるし。
私は人気のクラブに、真昼間に入った事があるけkれど、かなりショックを受けた。 昨日、あれだけかっこよく、心地よく見えた一角は、ボロボロのホコリだらけのビロードのソファー、 DIYの店で買った木を、鋸を使えない人が切り刻んで、めちゃくちゃな釘打ちで適当に立体にして、ガムテープで補強したバースタンドだったのだ。 壮絶・・。でもクラブの要は音と客層、ムードだからこれでも良い。
でも、アートはそうは行かないのだ。アーティストもアートも場所も、かなりよく練らないと全部が相殺されてしまう。 そこが、今回のオーガナイズの2人が理解して無かったポイントだと思う。

『アーティストが居て、展示場所が有れば展覧会ができる。』非常にもっともな話。 企画者のティムとマークは、クラブのオーガナイズを通じてインターナショナルなアーティストを沢山知っていて、この場所を借りられた。 さあ、展覧会ができるぞ!というわけ。
実際もちろん、そうなんだけれど、問題はその場所と作品の関わり方。 ギャラリーはホワイトキューブと呼ばれるニュートラルな空間が多く、展示がしやすいようになっている。 しかし、この旧煙草工場のような空間は空間自体の主張がとても強い。ゴミは転がってるし、床は色絵の具が飛び散っているし、 天井からははがれた塗料がぶら下がっていて、まるでインスタレーションみたいに見える。 こんな空間で展示するなら、空間そのものを作品に取り込んでしまうのが良い。 この空間で展示する、ということを念頭に置いて注意深く作って行く、ということだ。
この場所は確かに主張が強いが、その分、この場所を味方につけたら、とっても面白い展示ができたと思う。 例えば、共和国宮殿の廃虚を舞台にしたサシャ・ヴァルツの新作。 場所を取り込み、使い付くし、共和国宮殿の廃虚でしかあり得ない、素晴らしい表現として結実していた。しかし、今回の展覧会では、残念ながら、あまりそういうことを考えて作品を作ったアーティストが少なかったようだ。 絵画作品。作品の好き嫌いは別として、なんだかどの作品も見にくい。例えば、閉鎖するのに斜に木が打ち付けられたドアのすぐ横に貼られたキャンバス。 最初は、この木も実は作品の一部か?と思ったくらい、作品と木が近い位置にあって、見にくい。もうちょっと静かな壁を探すとか、 壁はちょっと塗り直すとか、床掃除するとかすればもうちょっと見やすかったのに、と思う。
インスタレーションだって、この場所の素材を生かしたりすることはできただろう、と思うのに、作って持って来て、場所があるから置きました、という風情。
変な言い方かもしれないけれど、愛が無い。自分の作品、もうちょっと良く見せたくないの?って聞きたくなってしまう。
好きか嫌いかと言われたら、特に好きな作品でも、良い作品だなあと思ったわけでもないけれど・・、この場所、ということを考えて作ったのかな?と思われたのは上の2つ。 左の作品は、パーティの時に使う花吹雪が床中にぱーっと散らばっている作品。花吹雪が時間とともにホコリをかぶって、床にもう散らばっているゴミと一体化している。 宴の跡、を思わせる作品。
右写真はタイルがはがれて生えてきたカビやしみが広がって、ドローイングにつながっている作品。ちょっとドローイングが繊細すぎてよくわからないけれど、 この場所からインスピレーションを受け、ここでやりたかった、という意義は感じられた。


アーティストもさることながら、アーティストを招待し、展覧会を企画した2人の方にも、この場所でやりたかった!という意義があまり感じられないのが残念。
『RIOがあるミッテ地区役所は、色々うるさかったけど、この煙草工場のあるパンコウ地区は、プロジェクトに対してすごくオープン。まだ注目されていない地区だから、 クリエティブな動きがこの地区で活発になっていって、パンコウ自体が魅力的になると良いなと考えた!』とティムは語っているが、その割に愛情を感じない展示の仕方をしている。
ドローイングがはってある白い壁をよくみたら、発泡スチロールを切ってくっつけたものだった。 発泡スチロールだって良いんだけど、このドローイングに合ってるとは思えない。 ちゃんと木を切って壁を作った方が良かったんじゃないの、と思ってしまう。 ところどころに付いている、メッセスタンドの看板みたいな看板だけが、妙にとってつけたみたいで、この発泡スチロールの壁の物悲しさが強調されてしまう。
場所が大きすぎるというのなら、1階だけにするとか中庭だけとか、場所も、人も絞って、本当にココで展示したらぴったり!というアーティストだけを呼んだ方が良かったのではないだろうか。
最後、展示を見終わって、入口に居た二人に声をかけた。『この場所は、できれば長期間借りて展覧会をし続けると言っていたけれど、その計画はどうなったの?』 『いや〜、ここの煙草工場の持ち主が、展覧会が気に入らなかったみたいで。もっと良い借り主が見つかったからその人に貸したいって。展示はもうやらないと思う。』 『あ、でもパーティは毎月1回くらいはやるから、HPチェックしてぜひ来てね!』・・やっぱり、パーティ、になってしまうのか・・。 これだけの場所を、提供もしてくれるという貸し主が居たのに、スポンサーもついてたのに、展覧会の内容をもっと練っていれば、続いたかも知れないのにね。 にこやかに送りだしてくれた2人を後に、駅に向かっていたらちょっと悲しくなってしまいました。




Kunsthalle Berlin Pankow:-----公式HP



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