(c)Internationale Filmfestspiele Berlin



さて、今回のベルリン映画祭でみた映画の中で、『Grbavica』とならぶくらい見ごたえがあったのが、 在日コリアンの監督、ヤンヨンヒ監督の『Dear Pyongyang 』。完全なドキュメンタリー映画なので、いちがいに比較はできませんが。 今まで見た中で、一番、観客がものすごい拍手をして、質疑応答が1時間以上も続く、盛り上がりが見えた作品でした。 私も、聞きたい事があって、監督と作品が終わってからすこし、話させて頂きました。
『Dear Pyongyang 』は、ヤン・ヨンヒ監督が、10年以上もかけて、大阪のコリアンタウン生野区(旧猪飼野)に住み、 朝鮮総聯の幹部として自分の使命を『自分の子ども達と孫達、親戚を革命家に育てる事』と発言する父を追った映像をまとめた作品です。
監督の父、母はもともとは南出身。しかし15歳ごろ、マルクス主義に傾倒し、北へと自分の国籍を変え、 活動家として日本全国への160校以上の朝鮮人学校の設立等、活動に人生を捧げ、『祖国』へ全てを捧げて来た。
50年代〜、60年代〜70年代〜 日本での在日コリアンの立場は決して良いものではなく、南、韓国の政治状況も良くなかった。 そこで、71年、両親は、まだ二十歳にも満たない三人の息子達を北朝鮮へ『帰国』させることにする。当時は北朝鮮の経済はそこそこ安定し、 『偉大な指導者』キム・イルソンの政策は成功しているように見えていた。 日本政府は、この北朝鮮を、『地上の楽園』と宣伝し、この『帰国』のために援助金も出していたそう。
そして、この地上の楽園、に『帰国』した三人の息子達は、今まで2度と、日本の地を踏む事はできなくなった。
息子達、そして、愛する孫達、親戚、友達・・に巨大な小包をせっせと送る母。
新潟から船で、そこからバスで。3日もかけてピョンヤンにたどり着いても、家族だけで話し合う事はほとんどない。
両親に会った人は、親戚から友達まで、小包のお礼を述べるが、両親は、『祖国のため』にしたことであり、 お礼の言葉も、『ありがたい祖国からの・・』なのである。
何故、ここまでして、『祖国への忠誠』を尽くすのか?今の状況が見えていながら・・・父のイデオロギーを理解できない、 父も、娘の望む将来を理解できない。
拒絶された娘がカメラをかまえ、心を通わせて行くまでを描く。


(c)Internationale Filmfestspiele Berlin


この映画は、決して、北朝鮮がどうだとか、批判した映画ではありません。
描かれているのは、誰にでもある、親と子どもの間にある、ドイツ語で言うところの『Hassliebe』、愛憎いりまじる気持ちです。 時間を経て、徐々に、その憎む気持ちが、やわらかくなるような、通じ合うような、それとも、相手が年をとって変わって来たのか・・。 この感覚は、多分、ドイツでも日本でも、どこでも普遍的なことでしょう。

ヤン・ヨンヒ監督の場合は、『二十歳の頃は、父を憎んでいた』。
『彼のイデオロギー、なぜそこまで祖国へ忠誠心を捧げ続けるのか、理解できなかった。』海外に行けないので、韓国籍に変えたい、と願う娘に激怒し、 最初は、カメラで写される事も許さなかったという父は、あきらめず10年間、常にカメラを向ける娘に、だんだん慣れてきたと言います。
実際、映画の中に現れる、普段着姿のお父さんは、歌い、笑い、プロポーズの話を、照れて、ごろんとお尻を向けながらも語り 『お前がパートナーを見つけることだけが望み』と言う、たっぷり笑顔の恰幅の良いおじちゃん。
監督が、『最初はカメラを向けられるのも絶対いやがっていた』というのも信じられませんでした。
しかし、彼がいったん『祖国』へ行き、勲章をぶら下げて、演説をしなくてはならなくなると、がらりと変わるのです。 その2つの顔、の中に有る、お父さんの心の中には何がうずまいているのでしょう。
『お前の夢をかなえるためなら、韓国籍にしても良いよ』と最後に許可する父。
でも、結婚相手に日本人はだめっ!! という言葉を聞いて、やっぱりだめなんだね・・と私は、ちょっとがっくり(?) 『キムチを食べられない韓国人と、キムチが好きで韓国語がぺらぺらな日本人とどっちが良い?』と笑いながら質問する娘・・・。



上映後、質疑応答が盛り上がり、映画館を出されてからも、監督のまわりには
質問したい、感想を言いたい人たちがびっしり周りを囲んでいました。
私が興味があったのは、元、東独の人たちの反応。
実際、質疑応答の時にも、東ドイツ出身だという人が、『東ドイツもまさに、このようで、私もこのような気持ちで・・・』と発言し、 会場から、『あんたはそうかもしれないけれど、私は違う!』とかのブーイングを受けていました。
1時間後くらい、すこし人が引いた時、私は思いきって、監督に気になっていた質問をしてみました。
『あなたにとって、日本はどういう存在なのでしょう』と。
映画の中で、両親と娘はほとんど日本語を話しています。実際、監督自体も日本語が一番はなせる、といいます。 しかし、日本の中で『祖国』教育を受け続け、しかし、その『祖国』自体に疑問を感じている彼女にとって、故郷は? 自分が拠点を置いている、日本、という国の存在はどんなものなのでしょう?
『日本について、あえて触れないようにしようと思ったわけじゃないんですよ』と監督。
『でも、こんな家族が住んでるのも、日本だなって。』
日本では、昔、北朝鮮は地上の楽園だ、と言って帰国政策をすすめたことにはほとんど触れず、北朝鮮のひどい実情のニュースばかりが流れる。 (私は、この『北朝鮮は地上の楽園』として帰国運動をした話をよくしらなかったのですが、映画、『キューポラのある町』でも北朝鮮にほこらしげに帰っていく、在日の家族のシーンがあるそうです。)
実際、ひどい現状もあるけれど、彼女の甥っ子はピアノを習ったり、そういう普通のシーンを取り上げたかったそうだ。

娘に韓国籍への変更を許した後、父は病にたおれる。『車いすでも、寝たきりでも、一緒にピョンヤンに行こう!』と励ます娘にせきこみながらも、 力強く手を握り返す父。 彼は現在も闘病中だという。彼の、2つの顔の裏の隠し続けた気持ちが、じわりとみえてくる映画だった。

Dear Pyongyang 公式HP



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