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(c)Internationale Filmfestspiele Berlin |
この映画は、決して、北朝鮮がどうだとか、批判した映画ではありません。
描かれているのは、誰にでもある、親と子どもの間にある、ドイツ語で言うところの『Hassliebe』、愛憎いりまじる気持ちです。 時間を経て、徐々に、その憎む気持ちが、やわらかくなるような、通じ合うような、それとも、相手が年をとって変わって来たのか・・。 この感覚は、多分、ドイツでも日本でも、どこでも普遍的なことでしょう。 ヤン・ヨンヒ監督の場合は、『二十歳の頃は、父を憎んでいた』。 『彼のイデオロギー、なぜそこまで祖国へ忠誠心を捧げ続けるのか、理解できなかった。』海外に行けないので、韓国籍に変えたい、と願う娘に激怒し、 最初は、カメラで写される事も許さなかったという父は、あきらめず10年間、常にカメラを向ける娘に、だんだん慣れてきたと言います。 実際、映画の中に現れる、普段着姿のお父さんは、歌い、笑い、プロポーズの話を、照れて、ごろんとお尻を向けながらも語り 『お前がパートナーを見つけることだけが望み』と言う、たっぷり笑顔の恰幅の良いおじちゃん。 監督が、『最初はカメラを向けられるのも絶対いやがっていた』というのも信じられませんでした。 しかし、彼がいったん『祖国』へ行き、勲章をぶら下げて、演説をしなくてはならなくなると、がらりと変わるのです。 その2つの顔、の中に有る、お父さんの心の中には何がうずまいているのでしょう。 『お前の夢をかなえるためなら、韓国籍にしても良いよ』と最後に許可する父。 でも、結婚相手に日本人はだめっ!! という言葉を聞いて、やっぱりだめなんだね・・と私は、ちょっとがっくり(?) 『キムチを食べられない韓国人と、キムチが好きで韓国語がぺらぺらな日本人とどっちが良い?』と笑いながら質問する娘・・・。 |
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上映後、質疑応答が盛り上がり、映画館を出されてからも、監督のまわりには
質問したい、感想を言いたい人たちがびっしり周りを囲んでいました。 私が興味があったのは、元、東独の人たちの反応。 実際、質疑応答の時にも、東ドイツ出身だという人が、『東ドイツもまさに、このようで、私もこのような気持ちで・・・』と発言し、 会場から、『あんたはそうかもしれないけれど、私は違う!』とかのブーイングを受けていました。 1時間後くらい、すこし人が引いた時、私は思いきって、監督に気になっていた質問をしてみました。 『あなたにとって、日本はどういう存在なのでしょう』と。 映画の中で、両親と娘はほとんど日本語を話しています。実際、監督自体も日本語が一番はなせる、といいます。 しかし、日本の中で『祖国』教育を受け続け、しかし、その『祖国』自体に疑問を感じている彼女にとって、故郷は? 自分が拠点を置いている、日本、という国の存在はどんなものなのでしょう? 『日本について、あえて触れないようにしようと思ったわけじゃないんですよ』と監督。 『でも、こんな家族が住んでるのも、日本だなって。』 日本では、昔、北朝鮮は地上の楽園だ、と言って帰国政策をすすめたことにはほとんど触れず、北朝鮮のひどい実情のニュースばかりが流れる。 (私は、この『北朝鮮は地上の楽園』として帰国運動をした話をよくしらなかったのですが、映画、『キューポラのある町』でも北朝鮮にほこらしげに帰っていく、在日の家族のシーンがあるそうです。) 実際、ひどい現状もあるけれど、彼女の甥っ子はピアノを習ったり、そういう普通のシーンを取り上げたかったそうだ。 娘に韓国籍への変更を許した後、父は病にたおれる。『車いすでも、寝たきりでも、一緒にピョンヤンに行こう!』と励ます娘にせきこみながらも、 力強く手を握り返す父。 彼は現在も闘病中だという。彼の、2つの顔の裏の隠し続けた気持ちが、じわりとみえてくる映画だった。 |