先週、第16回ヨーロッパ映画賞で“グッバイレーニン!”がなんと、最優秀作品賞、大優秀主演男優賞等6部門で受賞! 旧東独ブームはおさまりそうにありません。 私の大好きな旧東独産ピクルス、“シュプレーヴァルト・グルケン”のびんにも『グッバイレーニン!特別キャンペーン』なんてシールが貼ってありました。 旧東独特集テレビ番組、旧東独グッズの詰め合わせ缶など、ブームに便乗して色々なものが出て来ています。
しかしブームに乗じて出て来ている物の多くは、表面的にしか旧東独、DDRをキャッチフレーズにしているだけで、ここから実際の生活を垣間見る事はなかなか困難です。 子ども達はどんな手触りの玩具で遊んでいたのか、どんな色をみていたのか。
“旧東独の玩具展”をみてきました。


戦後から70年代初頭まで作られていた木製の家や車。手のひらサイズでかわいらしく丸みのある形は手触りが良さそう。 こういう積木っぽいモノは定番の玩具ですね。しかし、旧東独の街には全く色が無くグレートーンだけだった、と良く聞くので、とてもカラフルなのが意外でした。 そういう視点から見れば、車の形もトラバント(旧東独国産自動車)では無さそうです。 これだったら西側で売っていたとしても別段疑問は感じなさそう。 こういった木製の玩具の工場で50〜60年代まで働いていたというおばあさんと展覧会で一緒になって話を聞いたのですが、 旧東独時代にはこういった木製玩具の工場は90年の再統一後西側の大きな工場に吸収されるか倒産してしまい、 もう細かい手作業の玩具は作られなくなってしまったそうです。 『旧東独時代には女性が働く機会を多く与えられていたし、障害者にも職場があったけれど、今はそんな事無くて残念』とは彼女の弁。


飛行機を組み立てたら翼部分にはDDR国旗を

さて、プラスチックや金属製の60年代〜70年代の飛行機や戦車、宇宙船の玩具。ソ連モデルが揃っているのがいかにもです。
同じ社会主義国のソ連と共に宇宙船やロケット開発などに余念がなく、小学生の憧れの職業のベスト5には必ず“宇宙飛行士”がランクインしていたという旧東独。月面探査機やら、宇宙服、ロボット等の玩具は世界的に流行しましたが、もちろん東独でも大ブームでした。ロケットを積んだJUPITERは水色のボディにメタルのロゴが良い感じです。部分的にプラスチックを使ってある様ですが、ここで“プラスチック”といって、日本のプラスチックを想像してはいけません。透明度が低く、独特の乾いた手触りと、すぐポリッと折れる、混ぜ物の多いプラスチックです。素材としては高品質とはお世辞にも言えませんがこの素材を懐かしいと思う東独出身の人も多いみたいです。
プラスチックだけでなく、厚紙と銀紙で作る飛行機モデルもありました。
ドイツ初の光線タービン飛行機のモデルだそうです。
しかしこの組み立て飛行機、難しそう!私も一度テレビ塔の紙組み立てキットを作ったことがありますが、球体部分はこまかく山折リ谷折リをして、球を作らねばならず、柱の部分は円柱なので丸をきれいに切り抜く作業が大変でした。ちょっとでも切り抜き間違えるとはまらなくなったり、ラインが繋がらなくなったりするんです。

余談ですが、昨年くらいからベルリンではこういった紙を切り抜いて作る組み立てキットが流行っていました。ブームに火を付けたのは旧東独独自の建築、プラッテンバウ、旧東独国会議事堂等を作れるファルトプラッテ。ベルリン在の建築家が日々介そうされる東独の歴史を生き延びさせようと制作したもので、この元ネタとなった建築用の図面と組み立てキットはこの“旧東独の玩具展”にも展示されていました!その他、ベルリンの典型的な風景、インビス(屋台の食べ物/飲み屋)に集まる人たち(“年金暮らしのエルンストはここに来てサッカーの話ばかり”等の説明がついている)を組み立てるキットも出ていました。ドイツ人は手先が器用?それともなんでも自分で作るのが好きなだけなのでしょうか。

『何でも自分で作るのが好きで、工作好きなドイツ人。そんなドイツ人らしさがにじみ出るこの展示の中で特に私が興味をひかれたのが“Konstruktive Spiele 〜構築的な遊び”と題されたコーナーでした。
1979年、東独発インダストリアルデザインの専門書“form + zweck”が読者に提案したもので、子どものためだけでなく大人も楽しめる、一定の色や形の文法と法則を使ったものです。ロシアの抽象画にも似たこの遊びや玩具作りの提案は、“抽象的なアート”等という西側っぽい考えで作られてはおらず、不要となった段ボール紙や木の切れ端、ビニールの残り、ガラスごみをリサイクルし、組み合わせて作ることができる所が非常に評価されたのだと言います。しかし、再統一後の今、日本人の目からみると、一枚の紙から正方形が二つ組み合わさった立体が作れたり、とことん無駄を取り払ったシンプルなデザインのモビールができたり、ビニールを使って風になびかせる遊び等は美しいパフォーマンスとしても見ることができそうでちょっとみとれてしまいました。モノの無い所から頭を使って工夫する。何でも無い事ですが、モノが溢れている今に生きている私の目には新鮮に写りました。


そして、最後はいかにも旧東独らしい(?)“幼児教育としての玩具”も。ホーネッカーの写真を集めてファイリングするものも。こういうものって、サッカー選手とかはよく見かけますが、ホーネッカーさんの写真でも、コンプリートすると楽しかったりしたのでしょうか。

さて、旧東独では保育園は市から多大な援助を受けていました。その背景には、まず多くの女性が職についていたことがあります。西側の保育園と比べて預かってくれる時間が長いことも特徴の一つです。そして、これらの保育園に対し国家は『子ども達に早期から“社会主義意識において”を教育を施し、学校教育への準備段階を整える』状況をつくり出す事に興味を持っていたと言います。学者となり、国のためになる研究をする。兵役につき、国のために働く。手工業や建築業にせいを出し国を富ませる努力をする・・・。そういった目標に向けて努力する従順な若者達をつくり出すために、何が正しくて何が良しとされることなのか、という意識を植え付けるそういった情報操作や、本雑誌等のマスメディアの操作はなされていたでしょう。それがすべてが悪い方向に行っているとは私は思いません。女性も働く機会を与えられるべきでそれに対する保護は非常に大事である、手工業者等も学者等と同権利を持ち国を支える貴い存在である、等の考え方は今でも旧東独出身者には強く根付いており、私が好ましく感じる部分の一つです。しかし、国家や政治体制は平等をうたいながらもそれとは程遠い権力志向だった事、国の輸出量をごまかしてまで、国の立場を世界の中で高く位置付けようとしていた事などは国としてやはり良く無かったと思います。
そういったすべての問題を自分の中に抱えながら、旧東独の人たちは西側の人たちと統一されました。再統一10年後の2000年になされたアンケート結果では、未だに人々の心の中には壁が残っており、その大きな原因には子ども時代の教育の違いがあげられていました。善悪についての考えは子どもの時の経験により大きく左右されます。良い所も悪い所も、その違いをちょっとだけ、みることができるそんな展示でした。

展覧会:Spielzeug in DDR
11月28日 から.2004年3月28日まで
開館時間:水〜日 13-20 時




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