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(c)falscher bekenner |
映画は、真っ暗なアウトバーンを、アーミンがとぼとぼ歩いているところから始まる。
ぐしゃぐしゃになったジャガーの中で、頭から血を流し、死んでいるらしき人。
ゆっくり、その『死体』をみつめながら、アーミンは壊れた車の一部を手にとる。
向こうから、ヘッドライトの強い光が流れてくる。あわてて横道に逃げるアーミン。
カット。 アーミンの部屋。車のポスターが沢山貼ってある。エミネムのポスター、コンピューター、オーディオ、ラジコンに交じって、壊れた車の一部がころがっている。 カット。 父と母。朝食。『昨日何時に帰ってきたの?』『わかんない、時計見なかったから。』 ヌテラを塗った黒パンを口に押しこむ。『ジャム・・下さい。いちごのジャム。』 カット。 事故のフラッシュバック。 カット。 会社の面接。どうやら、アーミンは、高校を卒業したばかりのようだ。 妙ににこやかな面接官、クライン氏。 『好きな色は?』『・・・・・わかりません』『この写真を見て、どう思いますか?直感でぱっと答えて下さい。』 ・・『どう答えれば良いんですか』とアーミン。『好きな色は?』『さっき聞いたじゃないですか』『・・・・・あなたはチームプレーができる人ですか?』 毎日、毎日、色々な会社に、書類を郵送する。 コンピューターに向かって、書きはじめる。『拝啓、あなたの会社の募集を見て・・・』 それを消す。『あの事故は私がやったことです・・』 ・・父、母と散歩にでかける。アウトバーン沿いの小さな村のようだ。母はアーミンを気遣い郵便ポストを探す。『次(の面接)はうまくいくわよ!』 カット。 バスに乗っている車椅子の少女。 カット。 再び真っ暗なアウトバーン。道のはずれにある公衆便所。光が中に入ってくる。 屈強な皮ジャンの男たちに囲まれているアーミン。 カット。 車椅子に乗っていた少女、カチャがテニスをしている。脚はぴんぴんしている。 どうやら、車椅子体験、だったよう。 カット。 母が白髪を染めている。 TVのニュースで、車の事故の報道。事故ではなく、事件だった、という証言の手紙が届いているらしい・・。 カット。 兄がやってくる。しっかり仕事をしている、自信にみちあふれた兄。アーミンの面接の練習する。 『旅行代理店に勤めたい理由は?』『・・外国が好きです』『人にアドヴァイスをするのも好きです』 ・・・ 事故のフラッシュバック。革ジャンの男。カチャ。カチャの彼氏、ウルリッヒ。マスクをして行うセミナー。 バイク。 兄。父。母。警察。車。葬式。アウトバーン・・。 |
(c)falscher bekenner |
最初のシーンに出てくる、アウトバーンの闇と、時々、スポットライトのようにあたりを照らし出す、ヘッドライトの光にひきこまれた。
闇に飲み込まれ、みえないもの、わからないもの、そこにスポットが当たった瞬間、輪郭がはっきりと浮かび上がる。
何が真実なのか。どこまでが、アーミンの想像の中で起こっているできごとなのか。
意図的に、これからどうなるの?というところで、ブツリと切り替わり、ストーリーを切り刻むカットが
独特なギシギシきしむようなリズムで、映画を支配している。
その、噛みあわない世界の中を、いつもふてくされた顔のアーミンがふらふらしている。
ずーっとふてくされた顔の彼が、最後に、一瞬笑顔をみせる。
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監督のChristoph Hochhaeuslerは33歳。ミュンヘン生まれ。
ベルリン工科大学で建築を学び、その後ミュンヘンの映画学校へ行った。
しかし彼のやりたいことはミュンヘンでは受け入れられなかったという。
雑誌tipのインタビューによれば、
彼は、『2003年からまたベルリンに戻ってきた。ベルリンの人は、何かが起こるかもしれない、ということにとてもオープン。
全ての人が、自分の人生がもっと素晴らしくなるかもしれないと期待している。それは常に良い出発点なんだ。』
そう、その感じ、わかります〜!私もそこにひかれたのです〜!と勝手にうなずいてしまった。
この映画は、カット、写し方など、ちょっと実験映画の匂いがする。
準備期間30日、撮影20日、編集に2か月・・即興的にも思えるやり方が、逆にリアルな部分を際立たせているのかもしれない。
『空想のリアリティに興味があるんだ。……空想もまた現実。』
現実なんて、もしかしたら架空の、思い込みから成り立っているのかもしれない。
映画という架空の現実を作り出す手法を使って、『空想/現実』を描く。みえるところがわからない、みえないところにみえてくるものがある。
謎を多く残す、良い意味で、『なんともすっきりしない』映画であった。
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