ベルリン映画祭でドイツ映画を色々目にする機会を得、それ以降、ドイツ映画をみたい!という気分が高まっている。 特にベルリンを舞台にした映画は、いつの時代のモノであっても『あれ、この駅のそば、昔はこんなだったのか!』とか、 『ひゃー、この建物、まだリノベーション前だあ!』とか、映画の内容以外にも、楽しみが多いので、ついついチェックしたくなる。
この映画“One Day in Europe”も2005年のベルリン映画祭で上映された時、ベルリンが舞台、という理由だけで、興味をひかれた映画だった。 (ポスターもポップなデザインで良かった)しかし、コンペ作品だったので人気が高くチケットが手に入らず。 いつか見よう・・と思っていたところに、ちょうど、テレビ放映があったので、お茶を入れてテレビの前に陣取った。
面白いドキュメンタリーや、日本映画の放映も多い、ドイツとフランスの共同テレビ局、ARTEの『サッカー特集』の企画。
モスクワ、イスタンブール、サンティアゴ、そしてベルリンの4都市が舞台。盗難と車、をキーワードに、サッカーのチャンピオンズリーグが狂言回しの存在として、話をつなぎながら語られる、オムニバス。

監督のHannes Stoehrは、“Berlin is in Germany”という、こちらもベルリンが舞台の映画で、 2001年のベルリン映画祭のパノラマ観客賞を初め、数々の賞を受賞した若手監督。
もともとはシュトゥットガルト生まれ。最初はパッサウでヨーロッパ法を学び、奨学金をもらって、サンティアゴに滞在。 その後、ベルリンのドイツ映画・TVアカデミーDFFBで、2000年まで監督と脚本を学ぶ。 経歴をみると、監督が暮らし、みて、生きてきた場所のエッセンスが、“One Day in Europe”のそこここに取り込まれているのが感じられる。

この映画のアイディアは『ヨーロッパのありとあらゆるところから来た人間と出会えるという、ベルリンのワクワクする一面』から生まれた、と監督。
『それは、空気の中にある、開放的な気分、旺盛な好奇心からくるものなんだ』
“Berlin is in Germany”が各地の映画祭に招待され、上映された関係で、ヨーロッパ中を旅し、 スペイン、フランス、トルコ、ロシアなどから来た友人たちと語りながら、ヨーロッパについて、ヨーロピアン・ウェイ・オブ・ライフについて、の映画、を作りたい、と映画の構想を固めていったそうだ。
ここで監督が言う、『ヨーロッパ』は、『EU』でないのがポイント。


(c) One Day in Europe
チャンピオンズリーグ決勝、ガラタサライ・イスタンブールとデポルティボ・ラ・コルーニャがモスクワのスタジアムで決戦の日。
タクシーの中で、携帯電話でビジネス会話中のイギリス人ケイト。電話が終わるのを見計い、タクシー運転手が『ホテルはこの道をまっすぐ行くとあるが、車が入れないので、ここで降りてくれ』と言う。 『まっすぐ、まっすぐ』と車を降り、ぼやきながらハイヒールで、トランクをひっぱる彼女の前に、ピストルを持った男が現れ、全てを強奪されてしまった。
ぼうぜんと途方にくれるケイトに、強盗の一部始終を目撃していた親切なロシア人のおばあちゃん、エレーナが声をかけ、一緒に警察に行くことに。
しかし、警察で『英語を話せる人を出してくれ』と頼んで出てきた女性警官は開口一番、『シュプレッヘン・ジー・ドイチ?』
・・・『アイン・ビッスヒェン』学校でドイツ語をちょっと学んだというケイトは、片言ドイツ語と英語で、傷害保険を申請するための書類が欲しいと頼む。
警官は『モメント。ヴァルテン・ジー(お待ち下さい)』とびしり、と一言。待つこと数時間。 仕事をするでもなく、テレビのサッカー中継に興じている警官達に、英語で抗議するケイト。ロシア語で間に入るエレーナ。 警察署内には、デポルティボのファン達が、『試合が見たくてわざわざロシアまで来たんだ。せめてテレビくらい見せろ〜!』 『テレビ、テレビ!!』とスペイン語で歌う声が響き渡る・・。


場所は変わってイスタンブール。
コットブス出身、ベルリンで学生をしているロッコ(Good Bye Lehnin!で 主人公の友だちを演じたFlorian Lukas。駄目な奴っぽい顔がなんとも言えない )は、旅行のお金を作るために、偽装強盗を考え付く。 暗い細道から飛び出し、タクシーを捕まえ『そこで、2人組の強盗にあって、ラップトップと、iPod、リュックサック、高価な時計・・全て盗まれた!!』と英語で叫ぶ。 『警察に連れていってくれ!』と言う彼を乗せたのは、奇遇にもシュヴェービッシュ(シュヴァーベン地方ーシュトゥットガルト近辺の方言)を話すタクシー運転手、セラルだった。
『警察!』と言うロッコだが、セラルは『警察が何をしてくれるというんだ。直接捕まえないと、お前の持ち物は帰ってこない』と、車からバットを持ち出し・・


(c) One Day in Europe


(c) One Day in Europe
神々しい風景を目の前に、杖をつき、足を踏み締め、こみあげてくる感激を噛み締める、ハンガリー人の歴史の教師、ガボア。 彼は、ヤコブの聖地巡礼者として、全て徒歩で、各地を巡り、ついに、最終地点である、サンティアゴ・デ・コンポステーラに辿り着いたのだ。
サンティアゴの大聖堂の前に並ぶ巡礼者達の行列の前で、彼は『聖なる門(Puerta Santa)を入れて私の写真を撮ってくれますか』と通りがかりの人に英語で話し掛ける。 『操作は簡単ですから』とカメラを手渡し、振り返るともう、カメラと男は消えていた。
『私の写真!巡礼の全ての行程がおさめられた全ての写真が!』とパニックに陥るガボアは、警官を見つけて、あわてて、泥棒を探してくれるように頼む。 『オーケー』と気軽に引き受けた警官はスパングリッシュ(スペイン訛りの英語)を話す。 『ハンガリー人か。ハンガリー語って聞いたことないけれど、どんな風なのかね?』『フィンランド語のような感じです』
パトカーにガボアを乗せ、警察署に向かう途中に、妻の洋服を渡しに自宅に立ち寄り、愛人の家の窓をたたき、居酒屋でサッカー見物。 ついに警察署に到着。『カメラでは無い、写真が大切なんです』と言うガボアだったが・・

そして、舞台はベルリンへ。ストリート・パフォーマーとして、世界の路上を芸を披露しながら渡り歩き、芸を極めるんだ! と大きな目標を立ててフランスからやってきた、クロードとラチダ。
本当はベルリンからチェコへと抜けていきたかったのだが、ベルリンは観客こそ多いものの、払いはあまり良くなく資金も底をついた。
『よし、車が強盗にあったことにして、保険金獲得だ!』とクロードが言い出して、ガイドブックで『ベルリンのどこなら、強盗にあうだろうか?』とチェックを始める。
まずは、『オーエンシェーンアウゼーン(Hohenschoenhausenをフランス人が読んだところをご想像下さい)は旧東ベルリンの端で、お金が無さそうな地区だ』とあたりをつけ、 電車を乗りついて行ってみた。 しかし、ぴかぴかドイツ車ばかりが停まっているのを見て『ここじゃダメかも・・』と引き返す。 ガイドブックをペラペラめくりながら『トルコ人が多いマルチカルチャー地区、クロイツベルク!ここだ!』とクロード。 決勝戦のテレビ観戦で盛り上がるクロイツベルクで『今日、テレビを見ていないトルコ人なんて居ないわよ!!』とラチドは反対するが・・

(c) One Day in Europe

(c) One Day in Europe

Altes Museumの前で、芸を披露中のクロードとラチド



私がこの映画で面白かったのは、言語のミックス具合。 英語、ドイツ語、ロシア語、ロシア人の英語、ロシア人のドイツ語、トルコ語、トルコ人のドイツ(シュバーベン)語、スペイン語、スペイン人の英語、 ハンガリー人の英語、フランス語・・。
映画では、映画を語る人の視点が、ある1つの言語に固定されているのが普通なように思われる。 ハリウッド映画は、その舞台がどこであろうが、妖精だろうが、日本人だろうが、英語を話す。(漫画とかもそうだけれど)    しかし、この映画では、様々な国籍と言葉、習慣や考えが混じりあい、それぞれが存在感を持ってそこに有る。 登場人物ひとりひとりが、ちょこっとしか登場しなくても、その人の家族まで見えてくるような、はっきりした背景を持って存在していた。 タクシー運転手と警察官、が鍵になってるのもうまい、と思った。その国の、街の、ある側面を凝縮した存在だと思うからだ。 多くの街でタクシーに乗るが、その街ごとに、区域ごとに、まったく違う人達が運転をしているので、毎回、ビデオ撮りたいなあ・・と思うくらい面白い。 言葉は安っぽいが、人生劇場、なんて言葉が頭に浮かぶ。タクシーと映画、というとジャームッシュ監督の“ナイト・オン・ザ・プラネット”が思い浮かぶが タクシーは、何か、オムニバス映画を作りたくなるような、小さな歴史とストーリーに突然出会ってしまう、不思議な要素を持っているのかもしれない。 知り合いでもないのに、相手のテリトリーである密室に閉じ込められるからだろうか? 警察官は、有り難いことに、あまり御厄介になったことはないが、こちらも街ごとに全然違う。顔も動きも、体型も違う(ように思える。) その国、なり、街、の“法”を体現する人間だからだろう。ここでは、彼等が法律だ。 (映画の劇中に出てきたベルリンの女性警官はちょっとリアリティが無いが、男性の方は、本物を連れてきたのか?というくらいリアル)
他の人(国)が聞いても納得がいかない、その国(人)にしか通じない(へ)理屈に振り回されたり。 言葉が通じないけれど、心が通じ合ったり。言葉は通じても、心が通じなかったり。だまされたり。耳に入ってくる音、が“言語”として通じたり通じなかったり。 いろんな人がいて、それらの人々がつながったり、どうでもよかったり、言葉なんかたいしたことじゃ無かったり、その適当さ具合が、 この映画は、ちょっとベルリンの街に似ている。
“言葉”を、ただの“人と人が理解しあうツール”と感じていない人に、おススメしたい映画。

One Day in Europa:公式HP




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