Grosse Hamburger Strasse



グローセ・ハンブルガ−・シュトラーセはゾフィーエン・シュトラーセ のすぐ裏にある通りだ。オランニエンブルガ−・シュトラーセという売春婦のお姉さん達が立っている猥雑な大通りに向かっているわりに静かな印象を受けるのは、 緑の多いユダヤ人墓地があったり、教会があったりするからかもしれない。
静かではあるが、道が始まるあたりにはブランド・ブティックの店、 買った事はないけど覗くだけで気に行っている、ダリ好きのデザイナー、フィオナ・ベネットさんの帽子店、 ファラフェルのレストラン、革細工の店なんかもある。 大通りとぶつかる角にはアメリカン(ドイツ人の考えるアメリカンダイナーって感じ)なカフェがあって、 その向かいにある空地には、アメリカンなモチーフ(インディアン、自由の女神、アメリカ国旗・・そのまんま)が描かれたバスが止められていたりもして、 この辺りは、オランニエンブルガ−シュトラーセの匂いをひきずっている。
狭い歩道にぎゅうぎゅうと観光客がはみ出ていて、その合間を縫って市電が走り、砂ぼこりが舞ってるし、 夜は、コギャル仕様なピンヒールの厚底にぴちぴちの皮パンツ、それをさらに、“風と共に去りぬ”のスカーレット並みにぎゅうぎゅう腰をコルセットで絞った、 娼婦の人達が数メートルおきに立ってて香水がぷんぷんする道がオランニエンブルガ−・シュトラーセだ。 でも、そこを折れて、このグローセ・ハンブルガ−・シュトラーセに入ると、ふっと喧噪が遠くなり、 なんというか、クラブとかでトイレに入った時みたい。喧噪と熱気が、扉一枚挟んで、遠のいて別世界に入った感じ。 また扉をあけると音がぶわっと体にぶつかって来るのだ。扉は、グローセ・ハンブルガ−・シュトラーセの角の部分。
さて、この道には、警察が常時監視をしている場所がある。ユダヤ人墓地の隣なので、それを警備しているのだとずっと思っていたのだが、 ユダヤ人のオーバーシューレ(高等学校)があるのだそうだ。
先日、ユダヤ人小学校を訪ねる機会があったのだが、その時、まず、ガラスで厳重に孤立させられた入口で用件を通し、入館の許可をもらい、 校庭では警官が警備をしている様子なのに、驚いた。 もちろん、ユダヤ人関係の建物が常に脅迫され、警備が厳重だということは前々から知っていた。 しかし、ベルリン郊外ののんびりした住宅街の一角にある小学校でもこれだけ厳重に警備をするのか・・! 建物に入ると、全ての扉がとても重く、力を思いっきり込めないと開閉が辛い。 こんなの子どもの力で開けられるんですか?と尋ねると、『しょうがないんですよ。防弾ガラスの二重扉ですから』と言われて、さらにショックだった。 聞くところによると、ネオナチはもちろん、パレスチナのテロ等を一番危惧しているのだという。 何も起こった事は無いけれど、だからといってこれからも起こらないとは限りません、と言われて、ユダヤの複雑な歴史とその未来を思った。
この通りには、大戦下で犠牲になったユダヤ人をモチーフとして作られたボルタンスキーのインスタレーションがある。 えぐられたような跡が残る建物とそこに取り付けられた名前は、ひっそりと主張している。
その向かいにある玩具屋はユダヤ人のおじさんが経営するオモチャ屋でロウソク立てやラビのかぶる帽子なんかも手に入る。 木の素朴なオモチャなんかも良く揃ってて、いつも通る度、足を止めてショーウィンドーを眺めるのが楽しみ。 ここが閉店後、頑丈なシャッターを閉めるのも、もしかして、そういったテロ、いたずらを懸念しているのかもしれないな、と思う。 シャッターくらい普通閉めるでしょ、と思った人も多いと思うが、ミッテではあまり、シャッターを閉めているのを見かけないのだ。 夜でもこうこうと明るいショーウィンドーをカフェ帰りなんかに覗くのがベルリン流ウィンドーショッピング。 おっ、入りたい、と思っても、店はもう閉まってるので、お金は使わない。なかなか倹約的な人達だ。 こういうところがドイツらしいな、と思う。
この道は工事現場だらけで、どこかのビルが必ず、工事用の網に被われている。 そういう意味でも、私にとってココはベルリン的、な道と言えるかなー、と思いながら、短い道をサクサク歩く。買わないけれど、ちょっとショーウィンドーをチェックしながら。


*通りのヒトカケラ*
戦争の弾痕の跡が残っている壁が沢山あるのは。
石造りの建物が多いヨーロッパならでは。
これは通りの一部にある古い建物の壁。弾痕だけでなく傷や落書も。





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