Karl-Marx-Allee



橋口さんの描くクロイツベルクも、 ベルリンの1つの顔であるが、この、カール・マルクス・アレ−を見ると、もう1つの顔、東独の首都、であった事を強く感じる。 先日ドイツのTVで、北朝鮮のドキュメンタリーを見ていたら、このカール・マルクス・アレ−そっくりな場所が。 思わず指差して『カール・マルクス・アレ−?!』と言ってしまった程、通りの広さ、建物の作り等がとても似通っていた。 独特の建築様式、モザイクや壁画等のモティーフとされている労働者の姿・・。OST(東)側を強く意識させられる道なのだ。
家の最寄駅であるハ−ケッシャーマルクト駅が昔、マルクス・エンゲルス広場、という名前だった事は 旧東ベルリン地図、空白の西側と消えた名前で書いたが、 このカール・マルクス・アレーは元スターリン・アレー。
この通りは、アレクサンダ−プラッツ裏、Haus der Lehres(教えの家)のある辺りから始まる。 このHaus der Lehres の壁画も、一時期、取壊す話があったが、無事、修復をすませ、新品のように色鮮やかになった。 科学者、力強い女性労働者と家族の姿・・この絵のモチーフと新しく直された色がなんだか噛み合わない、 と通りかかる度に思う。ドレスデンとかにある壁画は工事現場の網をかけられ、隠されているみたいなのに、ベルリンは、逆にこういう場所を修復までしてしまう。
多分、逆にこういう場所は今、注目されているからだろう。観光的なこともあるのかもしれない。 そしてまた、こういう東らしい場所で、工事費もないので放置されていたような場所は、クラブやバー等に転用されていたりもする。
旧東独の酒場であったらしいカフェ・モスコウ(上左写真)は、昼間はカーテンの安売り会場になってるが、 夜はクラブやイベントスペースになる。 カフェ・モスコウの前には旧東独映画館インターナショナル。 ここも週末の夜はクラブになる。そのナナメ前の四角いガラスの建物はKMAというバーで、ここでは月2回、コイクラブという日本の人がオーガナイズするイベントがある注目のスポット。 もうちょっと行くと、カールマルクス本屋、というのがあり、ココにも最近、店鋪の半分にコム・デ・ギャルソンのゲリラショップが入った。 私の好きなムードたっぷりのバー、CSAもこの通りにある。 この、CSAはもともとチェコ航空のオフィスだった場所をそのまま居抜きで使用し、東らしさをうまくシックにしている。 ・・すごい。こう書くと、カール・マルクス・アレーはオシャレ通り?と思ってしまいそうだ。
広い自転車専用道路もあって、走りやすいのと、医者がこの通りにあるので、この辺は昼間、よく自転車で走る。 通り過ぎて行く街並ががらりと変わって、すれ違う人達もおじいちゃんおばあちゃん、それも人目で東の人だとわかる感じになってくる。 ドコが東なの?と聞かれると口で説明は難しいのだが、顔つき、顔色、表情、そして服装? ゆっくり歩きながら、広場に火曜日と木曜日に出る市場で買い物しているおばあちゃんたち。 市場には、ベトナムの人達が出している安いTシャツの店や、布地の店がある。井戸端会議に花が咲いているようだ。 おじいちゃんと手を繋いで、桜の咲き誇る公園でぼーっとしているおばあちゃんの姿も。この時期、カフェにもおじいちゃんおばあちゃん、てんこもり。 明るい陽射しの下で、巨大なアイス盛り合わせを前に何をするでもなく、道を行き交う人を見ている。何考えてるのかな。
丸屋根の塔が目印のフランクフルター・トア−の辺りでカール・マルクス・アレーは終わる。 上に行けばペテルブルク広場、旧レーニン・アレ−(現在はランズベルガ−・アレ−)下はワルシャワ通り。 よくわからないけど、東だな、とつくづく感じてしまった。


*通りのヒトカケラ*
通りの名前がカールマルクスだから、
やっぱり彼の像がないと。







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